聖地ミーソン
 
  遺跡の名称 : 聖地ミーソン
  遺跡の年代 : 08〜13世紀
  近くの都市 : Hoi An (ホイアン)
 
 
 

チャンパ王国の聖地であるミーソン遺跡は、ベトナム中部沿岸部の港町ホイアン(Hoi An)の南西約50キロの緑豊かな山々に囲まれた地に、塔堂様式の壮美な神殿が建立されている。 チャンパの人々は神々を崇める厚い信仰心を持ってシヴァ神を象徴とする、神格化されたリンガ(Linga)を祀り崇拝した。
この地はチャンパの人々にとって最も重要で神聖な宗教施設の場であった。

原形を維持し残存する遺跡は20棟余りで、それ以外にも数多くの遺構が存在している。これらの貴重な建造物には様々な装飾が施され、 祠堂の基壇部分に填め込まれた鬼面のカーラ(Kala/時間を象徴する神)のマスクは全て異なったユニークな表情をしている。他にも石像彫刻、首の無い女神像や石碑などチャンパ造形芸術の宝庫である。

一方、ベトナム戦争当時に米軍の空爆により多くの遺跡が破壊されたのも事実である。しかし、何百年にも渡り雨風に晒され続けてきた傷みも充分に重なっているように思える。林の奥に入って行くと直径10メートル程の大小の窪みに行く手を阻まれ、すり鉢状の縁に沿って半円を描くように歩くことがある。それらは爆弾の痕であり、地中にはまだ不発弾が残っているそうだ。

この地を再び訪れたのは1994年3月であった。とにかく朝焼けに浮かぶ遺跡群を見たいという強い願望からだ。早朝、ホイアンのホテルを出発し、先ずは氷とミネラルウォーター、フランスパンなど食料と、活力の源である缶ビールを買い求めた。
余談だが、若い頃にサイゴンでデング熱にやられ40度の高熱に震えが止まらなかった記憶から、念のためにドライバーに1人用の蚊帳を買って来るように頼んでおいた。

それらを積み込み市街地を抜けたが、しばらくすると未舗装で穴だらけの道路は大きく崩れ落ちていて立ち往生してしまった。その後も、相変わらずの悪路に何度も座席から跳ね上がり、ついに激しく頭をぶつけた瞬間、ドライバーがいたずらっぽく笑った。

ミ−ソン遺跡に通じる、手前のトゥーボン川の岸辺到着まで3時間余りもかかってしまった。船着場で機材とクーラーボックスを積み込み、小舟に乗って20メートル程の川幅を渡ることになる。 初めて訪れた時は川を渡り、一歩また一歩と、上り坂を踏みしめて目の前に現れるであろう遺跡に感動する自分を想像していたが、炎天下のなか機材を背負い歩くこと困難至極!
心臓破りの坂道と命名した。

そんなことで、今回はオートバイを雇い2キロ程の坂道を5分も掛からず軽快に番小屋前に乗り付けた。と同時に、けたたましく吠える番犬にまたもや盛大な歓迎を受けることとなった。
その日は、まだ明るいうちから4人の番人達は小屋の前にテ−ブルを持ち出し、1人がメインディッシュに鶏を1羽潰してヌクマム味の料理を作ってくれた。 持ち込んだ食料と、何といってもクーラーボックスの冷たいビ−ルに、お土産のウイスキーも並べ乾杯した。 結局は食事ではなく、飲み会の状態になってしまった。とっくに日は沈み、ランプの灯にお互いの赤黒い顔が浮かび照らされる以外は全て漆黒の闇に包まれていた。 その夜、酔っ払いは持参した蚊帳の事をすっかり忘れ板の間で眠ってしまったのだった。

早朝、薄暗いなか朝露に濡れた小道は滑りやすかったが、はやる気持ちを抑えながら、前日にロケハンをしたポイントへと急いだ。撮影準備を整え、澄み切った大気のなか朝日が昇るのを待った。
いったん撮影を終えて帰ると、番人の1人はいつも持ち歩いているМ16ライフルを肩に森に入って行った。しばらくして数発の銃声がこだましたが、戻ってきた彼の手に獲物は無く、何事もなかったそぶりで番小屋に入っていった。

当時は訪れる者もなくひっそりと静まり返り、聖地にふさわしい神秘的な雰囲気に満ちていた。

 

 
 
 
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